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俺の人生を返してくれ:『インサイド・ヘッド』の感想

ピクサーの作品を酷評する人っているんでしょうか、あのトイ・ストーリーでさえも?酷評とまではいかないけど正直あまり好きではない作品はあります。自分は『カールじいさんの空飛ぶ家』ですかね。
それ以前の作品は、おもちゃや昆虫や魚や車といった人間ではないものを擬人化したものでした。唯一の人間の主人公は、と言っても超人的な力を持ったスーパーヒーローですが、そのスーパーヒーローを主人公にした『Mr.インクレティブル』です。人間でないものの視点から普段は知る事が出来ない世界や彼らが体験する冒険を楽しむ事ができるのが自分にとってのピクサー先品です。
まあ確かに、風船で空を飛ぶというのも体験できるものではないですが、そういう世界にワクワクドキドキはしないかな。空を飛ぶ映像なんて現実にもあるわけだし他の色んな作品でもそういう映像は描かれてきた。
それが宮崎駿のアニメなら別ですよ、そこには血湧き肉踊るエキサイティングが冒険が待っている。
そうだ、もう一つありましたね。『メリダと恐ろしの森』です。実はこれも先の理由で見るのを見送りました。評価もピクサー作品として見たらそんなにいいものではないようです。実はそれ以前に見る事をためらった理由があるんですけど。主人公の吹き替えを当時AKB48のメンバーだった前田敦子が演じていたことなんです。その頃のAKB人気はそれは相当なもので、その起用は今で言う、マッドマック怒りのデス・ロードのマックスの吹き替えにEXILEのAKIRAが起用されるのと同じぐらいの話題性でした。
映画ファンならお分かりでしょうけど、AKIRAがキャスティんされたことでファンの間でどんな声が上がったのかご存知ですよね。
それだけではありません、日本の吹き替え問題は以前から指摘されてきました。キャラのイメージや演じる役者の技術的な問題を無視して単なる話題性と宣伝のためだけにタレントがキャスティングされることが日本では当たり前になっていたのです。そのタレントが有名であればあるほど批難は集中しました。それは前田敦子の時も同じです。あのピクサー作品の主人公にAKBメンバーが起用される。とうとうあの天下のディズニーまでもがAKB頼みになってしまったのかと。
ここまでに書いたことは憶測にすぎません、実は吹き替えが素晴らしくて作品だって面白いのかもしれない。しかし自分が好きなピクサー作品は、人間以外のキャラが自分達の知らない世界を体験させてくれる物語なのだ。そしてそれらはどれもが傑作でした。
しかし終わりがやってきます。これまで自分が楽しんできたピクサー伝説に終焉の日が訪れたのだ。
ピクサーが今回選んだテーマは頭の中です。人間の頭の中には、ヨロコビ、イカリ、カナシミ、ムカムカ、ビビリといった擬人化された感情のキャラクターがいて、彼ら五人が宿主である人間の感情や行動をコントロールするんです。そうすることで人間の性格や個性が作られていきます。
擬人化されたキャラクターはピクサーの最も得意とするところだ。自分が好きな話しであることは言うまでもないだろう。だからワクワクするではないか。
だが心の片隅になにかがひっかかる。実は作品が公開される半年前のブログで作品についてこのように書いてるんです。
感情のキャラクターの意思が宿主の行動を決めるがおそらく促す程度のものだろう、でないと完全な操り人形になってしまう、それはもはやロボットだと。
映画を見ながら違和感はまだ続きます。キャラクター達が宿主の子供をどれだけ大切に想っていようとそこに愛のある関係性を感じないんです。その理由は前に言った操り人形です。
もっとはっきり言ってしまえば、「おれの意思は、人生は、俺が決めることなんだよ、お前らの思い通りの生き方なんてしてたまるか!」ということです。
そんなやつらと上手くつき合えたり出来るはずが無い。あ、そう思う今の感情もあいつらが操ってるせいか。なんかややこしくないか?あいつらの悪口を言ってるのに。
映画では、女の子が間違いを犯すことがないように感情達が力を合わせて頑張る姿が描かれます。親に反抗して道を外しかけるんですが結局は感情達の頑張りによって良い子に戻るんです。でも道を外しかけた事もそもそもは感情達のミスであるわけです。そんな危険極まりないやつらに自分の人生を決めてほしくない。ていうかもう手遅れだけど(笑)俺のこのめちゃくちゃな人生は全部やつらの仕業か!俺よりも酷いやつだっているぞ!犯罪者はどうなる!世界には沢山の不幸な子供だっているんだ。そんな中で死んで行く罪なき者もいる。
しかし天下のピクサーとディズニーだ、そんな闇を描くはずが無い。しかし知ってほしい、感動と涙の美談の裏にはそういった闇の話しがあるということを。そんな話しを作ってもいいんじゃないか?
感情がキャラクターというのもややこしい。おもちゃや魚や昆虫といった見た目にも分かりやすいキャラとは違って子供には分かりにくくないか?どんな事件が起きて彼らがなにをしてるのか状況が把握しずらいはず。その証拠に、子供達の退屈な声声声。泣き叫び親と共に退場する子供達もチラホラ。
例え話しを理解出来なくても、キャラクターの可愛さや動きの面白さがあれば子供だって集中するものだ、しかしそれもない。
アメリカではもの凄い高評価を得ていますが本当なんでしょうか、もしかしたら自分だけ?こんな感想。映画を愛して積み重ねてきたこれまでの45年の人生が一気に崩れていきそうな思いです(笑)

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テーマ : 映画レビュー
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シュワちゃんの筋肉にウホッ:『ターミネーター:ジェニシス』の感想

前回のブログでターミネターへの想いを書きました、そして最後の締めは、ジェームズ・キャメロン監督本人の「これは私の作ったターミネターの正当な続編である、そして大どんでん返しに驚いた」その言葉の意味を自分の目で確かめると。どんな作品が作られようともキャメロンが作った作品以外は認めることが出来ないといった信念が自分にはあります。しかし、その敬愛する監督自らがこれこそがターミネターだと認めている。しかしやはり不信感が拭えないんです。特に大どんでん返しといった言葉、あの誰も体験したことがない映像をクリエイトする監督がそんなありきたりな言葉を使うだろうか、あまりにも素人臭い感想ではないか、いや、でもそのキャメロンでも驚くようなストーリーが用意されているのかもしれない。そんなもやもやした想いを払拭するべく劇場へ赴いたわけです。公開は先週からの金曜日でした。しかし自分は仕事があるので朝と昼は観に行けない。仕事もままららない状態をなんとか乗り切り、そして終業と同時に猛加速で劇場へ向かったのでした。劇場の明かりが落とされ遂に始まるターミネーター・ジェニシス。
冒頭は、マシンと人類との戦争場面から始まります。1でカイル・リースの回想や言葉で語られ、2の冒頭で少しでけ映像として登場した未来の戦争です。その戦争が詳しく語られます。初め劣勢を強いられていた人類がジョン・コナーの出現によって形勢が逆転します。そこでマシンはそれを覆すために一体のマシンをタイムマシンで過去へと送る。それがターミネーター、サイバーダインモデル101型、通称T800です。T800の目的はジョンの母親を抹殺することでした。そうすることで未来のジョンの存在を消そうと考えたのだ。それを阻止するために過去へと送られたのが人間のカイル・リースでした。その送られた世界で展開されるのが前作の1と2です。ターミネーターファンなら未来の戦いを見たいと一度は思ったはずです。その戦いがジェニシスの冒頭で描かれるんです。
そこは満足のいくものでした。やはり自分も過去色々と妄想しましたからね。
次に場面が変わるのは過去のシーンです。そこで自分は感動しました。なんと過去何度見たターミネーター1の映像が目の前の巨大なスクリーンに映されてるではないか。もうそれが凄いんですよ、アングルから台詞、風景や使われた道具までが全く一緒なんです。出てくる野良犬まで(笑)だが肝心のターミネーターはどうなんだ?いくら風景や道具を似せても人間をまったく同じに再現するなんて無理だろう。確かにCGの技術は進歩した、だが今のすっかり筋肉が衰え老人になってしまったシュワちゃんを筋肉モリモリのピチピチシュワちゃんに変えるなんて不可能もいいとこだ。
だがびっくり、これが完璧に再現されてるんですよ、もうムキムキピチピチでウホッって感じです(笑)こんなシュワちゃんを拝めるなんて、ありがたやありがたや。あと面白いのが、当時劇場でぼかしがかかっていたシュワちゃんの股間も同じように暗く処理がされていたことなんです。だってCGで作られているんですよ、それなのにぼかしって(笑)
そこでまた感動してしまいました、制作者のこだわりは相当なものです。シュワが殺す不良三人組も一緒。彼らがふざけ合ってる姿も何から何まで。
その後カイル・リースが登場します。もちろんここからの流れも同じです。自分は劇場でリアルタイムで体験しましたからあの興奮が蘇ったようで本当に感動しました。やはりターミネーター1を劇場で見るのは最高だと。いやいや勘違いしてはいけない、これはターミネーター・ジェニシスなのだ(笑)まあ、それぐらいの再現度だったわけです。
では、なぜそこまでの再現度でならないといけなっかたのか?それには理由があります。実はこの作品はオリジナルの物語から分岐していく物語なんです。実はもう一体のターミネーターが1984年よりもさらに過去へ送られていてそのせいで歴史が変わってしまったといった話しになっています。だからターミネーターの一作目を忠実に再現してるんです。カイルが登場し警官に負われデパートに入る場面も同じです。しかしその警官はT2に登場したT1000に変わっているんです。それも過去へ別のT800が送られてしまったのが原因です。
しかしです、これだけでは納得できない、それではオリジナルを完全否定することになってしまう。自分が好きなのはあくまでもオリジナルの物語なのだ。そこで制作者はもう一つのアイデアを加えます。オリジナルファンを納得させながらも全く異なる物語へ派生させるアイデアを。
そこに納得ができるかいなかで作品の評価が別れるといっていいでしょう。だが自分は納得ができませんでした。
その理由付けがあまりにも無理矢理で強引すぎる。
冒頭でカイルが未来から過去へタイムスリップする場面でカイルはある映像を見るんです。そこには彼がこれまで体験したことも見た事もないものが写っていました。それが新たな派生への鍵になるポイントです。そこに歴史を変えるヒントを感じたカイルはその時代へ行く事を提案するんです。その映像には自分の子供時代が写っていました、ですがそんな映像は自分の記憶にはない。その説明をT800が説明します。ここがビックリポイント。
なんと別の時間軸の世界だと言うのだ。つまり平行世界です。だから同じ世界で同じ人間が面と向き合う事も許せちゃう。本来なら許されない事だ、かつてバック・トゥ・ザ・フューチャーのドクが言ったように銀河が崩壊するかもしれない。でも平行世界だからそれはあり得ないのだ。機械らしくなんかもっともらしい説明をしますけどあまり理由になっていません。そんなありえない夢物語をサラが信じるわけがない、でも俺を信じてくれとカイルはサラに迫るのだ。俺だってそんな話しに納得できない(笑)でもカイルは説得するのだ、いや映画会社が観客を説得してるんだろう(笑)
これで別のターミネーターを作るお膳立ては整った、これで気兼ねなく好きな事が出来るぞ、と(笑)
もうお分かりの事かと思いますが、はい、自分はもうここから入っていけなくなりました。
スカイネットの正体も審判の日も登場人物も前作から大きく変わっていくことになります。
でも異なる時間軸を設定したことによって評価できることもあるんです。ファンの多くから黒歴史と言われている3や4もちゃんと存在し肯定できるものになった。IFの話しとして。これには3と4に関わったスタッフやキャストも救われた思いでしょう。
でも自分はそんなものはいらない。
でもいきなり否定するのは早々というものだ。例え違う世界の違う物語になってもドラマやアクションが優れたものであればそれでいいんだから。でもそれだったらかつての3や4にも当てはまることだし・・。結果は言うまでもないでしょう。
じゃあジェニシスの場合はどうだったのか?まあここからは個人的な意見です。自分的にはやはりのめり込めるもはありませんでした。自分にとってのターミネーターとは、基本的に愛の物語と思ってるんですよ。
サラとカイル、サラとジョン、ジョンとT800、いろんな愛の形が描かれてきたのがターミネーターの1と2でした。そこに涙したんです。その泣ける愛をジェニシスには感じないんです。それが完全にないというわけではないんです、そうなり得る要素もある。T800のことを育てのおじさんと慕うサラとT800の関係にも良いと感じるところがあったし、マシンであるはずのT800にサラを思う感情があるのも分かりました。だから惜しいんですよ。かつてのどの作品よりも自分が望むターミネーターがある。そこをもう一踏ん張り頑張ってほしかった。でも根っからファンでなければ十分泣けるレベルです。頑張りが足りないと思える理由にサラとカイルの関係があります。オリジナルのファンなら二人のことをご存知のはずですよね、また二人がなぜ愛し合ったかも。それがジェニシスではまったく理解できない。100%理解不可能。これは映画を直接見てください、ラストシーンのサラに腰砕けになりますから(笑)
でも一つの解釈を自分はしました。ずっとT800に戦士になるよう育てられてきたサラは異性への免疫がないはず、そこに男性が現れ、しかも裸で接する(これは秘密)ことになるのだ、これには流石の戦士もまいるはず、彼女も女の子なのだから。で最後の彼女の選択と台詞だ。これがリンダ・ハミルトンが演じた筋肉モリモリのゴツいサラならなかっただろう、いやそもそも似合わない、でもベビーフェイスで可愛いエミリア・クラークのサラならそれもあり得てしまう。彼女が本当に可愛いんですよ、この映画で唯一認めるところはそこだ。この映画で彼女のファンになりました、しかもおっぱいが大きいんですよ(笑)
あとはアクション。これにもなにも感じるものがない。迫力はあると思いますよ、しかしセンスを感じない、例え荒削りでもいいのでその監督にしかだせないこだわりのアクションを見せてほしかった。だってどんなアクションがあったのか思い出せないし。そこは3が頑張ってましたね、T800とT-Xとのガチンコトイレバトルは今でも大好きなシーンです。
もうね、細かいツッコミどころで満載なんですよ、それを言い出したらネタバレになるので言えないですが。でもここまでもかなりのネタバレをしてるんですけど・・とにかくこの映画にはネタバレになるようなツッコミどころが多すぎるんです。だから感想を書くとどうしてもそこに触れてしまう。1984年でタイムマシンを作っちゃうとか・・あ!そら見た事か(笑)アカデミー賞受賞男優のJ・K・シモンズの必要性とか・・あ〜もう止めますね(笑)
というわけでこの辺でそろそろ締めにしたいと思います。
はたして続編は作られるんでしょうか、実はツッコミどころが多いこの作品ですがそのいくつかは続編で明かされるような作りにはなってるんです。それを知ってれば考えていくらかの納得ができるんですけどほとんどの人はポカンとしてるでしょう。もしかしたらハッピーエンドと思っていない人だっているかもしれない。そのフォローがほしかったですね。
でも続編も怪しい感じなんですよ、なにせアメリカで大コケをしてしまったんで。評価もよくない。
あとは海外収益頼りのようです。T1000にイ・ビョンホンを起用しているおかげで韓国での収益は非常に好調なようです。これは映画会社の当初からの思惑通りでしょう。もしかしたら予め不安を感じていたんでしょうか、なら作るなよ。
自分は吹き替えを次に見る予定です。日本の吹き替えレベルは作品の面白さを何倍にもしてくれますからね、それに玄田哲章さんがシュワルツェネッガーの声を当てているし。シュワルツェネッガーの声は本人よりも玄田さんのほうがぴったりなのだ、本人の下手くそな芝居も見事にカバーしてくれるし(笑)日本国民にとって玄田哲章の吹き替え作品を見ることはもはや義務なのだ、いや法律なのだ!(笑)
あそうそう、肝心のキャメロンのことを忘れてました。彼の発言の真意についてです。
実は数年前にファンとキャメロンとの間で質疑応答があったんですよ。その中で、もしかしたら平行世界が存在していてその中ではスカイネットが勝利する話しがあるかもしれないと答えているんです。
だからキャメロンは続編と言ってるのかもしれませんね。大どんでん返しは、日本スタッフ側が大袈裟に訳しているようです。そりゃそうですよね、大どんでん返しなんて言葉を今時使いますか?それこそ素人の感想ですよ。しかも大ですよ大(笑)どんでん返しだけで良いだろ(笑)宣伝会社の必死さが伝わってきます。

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明日公開の『ターミネーター:ジェニシス』に向けて

『ターミネーター:ジェニシス』の公開日が明日に迫ってきました。生みの親であるジェームズ・キャメロン監督が「これは私の作った作品の正当な続編だ、どんでん返しに驚いた」とコメントを寄せていました。
その言葉に勇気づけられた人は多いはず。オリジナルの一作目を見たのは自分が15歳の頃です。当時は、銃撃戦や肉体派アクションに夢中になっていた頃で、そんなアクション小僧がターミネーターを見てどれだけの衝撃を受けたことか。
劇場で体験した観客のどよめきも忘れられません。サイボーグのシュワルツェネッガーがカイル・リースの放った複数の銃弾で吹っ飛び、観客達がホッとしたのもつかの間、なんとシュワルツェネッガーはむくりと立ち上がって反撃をしてくるではないか!その瞬間、劇場内にどよめきが走りました。それまでいろんな悪役が登場する映画を見てきましたがそんなふうに銃弾を何発食らっても立ち上がってくる敵なんて見たこともありませんでしたから。しかもシュワルツェネッガーの容姿がめちゃくちゃ怖い。当時シュワちゃんは無名でしたからね、映画での登場シーンからして衝撃でした。筋肉モリモリのマッチョマンが素っ裸で登場して近くにいた不良達を素手で殴り殺してしまうんですから。それも腹を貫通して内蔵をえぐるほどのパンチ力で。こいつはとんでもないバケモノだって思うじゃないですか、でその後の銃撃戦です。あんなインパクトは今後ないでしょう。それも15歳という多感な時期に見たもんだから、もうその後の人生は決まったようなもんですw。加えてシュワルツェネッガーとスタローンのブームがやって来ますからね。筋肉に銃に爆破。現在自分は45歳ですが間違った方向に駄目人間になってしまいました。未だに中二心が消えないおっさんですw同じ歳でそんな人が多いんじゃないですか?
そして待ちに待った『ターミネーター2』がやってきます。この当時、シュワルツェネッガーは今や押しも押されぬ世間の人気者です。演じる役と行ったら正義のヒーローばかりです。そんな彼がまたあの残虐で恐ろしい役を演じるのか?当時はネットなんて存在していないので得られる情報なんて限られています。ロードショーやスクリーンといった月刊紙や深夜のマニアックな情報番組からそれを見聞きしていたぐらいです。最初に見た予告は深夜番組でした。それはサイバーダイン101型が工場で作られるといっただけのものです。そして最後に完成して出てきたのが裸のシュワちゃんでした。その時に口にしたシュワちゃんの言葉があの有名な「アイル ビー バック」です。
映画の内容にはまったく触れていませんでしたが、それだけで中二な自分は大興奮したのでした。
その後次々と明らかになる新事実に更に期待が高まることになります。
そして遂に来た公開日。観賞中と観賞後のあの気持ちはとてもここでは書き尽くせません。あの凶悪なロボットが実は主人公を守るために未来からやってきたロボットだと知ったときの驚き。新たに登場した敵の驚くべき能力。その敵の前にはあのT800でさえかなわない圧倒的な恐怖と絶望。その絶望と抵抗のなかから生まれる母と子の愛、そしてT800との絆。人間の心を理解していくT800に胸を打たれます。彼らは未来を変えるために戦います。
迎えるラストシーン、もう涙無くして見れません。
どうでしょうか、自分が受けた感動が少しでも伝わったでしょか。
「私たちの目の前には未知の未来が広がっている。どんな未来が待っているのか分からない。でも分かったことは一つある、それはマシンにも私たちの心を理解できるということだ」
そう、まだ見ぬ未来。映画を見る人間もその未来に多くの想いは馳せたのだ。その気持ちは今も変わる事無く自分の中で大事にしまっている。だからこそずっと好きな映画なのだ。
その後に3と4が作られましたが、そんな理由で自分の中ではそれらの作品はないものになっています。独立したアクション映画として見るなら見応えのあるシーンもあります。そりゃお金をかけてますからね、当然と言えば当然です。特に3は好きですよ、T850とT-Xとのトイレでのガンチンコバトルは今も好きなシーンです。でも2の続編ではない。あのラストで感じた気持ちを大事にしてると話したじゃないですか、だから自分にとってのターミネーターはあそこで時間が止まってるんです。
ジェニシス公開へのキャメロンの言葉はありがたいですが、だから正直内心複雑なんです、キャメロン本人が作ったのならまだいいですけど他の人間が作ったものを2の続編として認めたくはない。
現在アメリカで公開中ですが、やはり自分と同じ思いの人間が多いのか、大惨敗の大コケになってしまっているようです。評価も芳しくない。
キャメロンの言葉の真意がどこにあったのか分かりかねます。今まで散々こねくり回されてきた自身の作品を今更軽々しく続編などと口にできるのだろうか。もしかして金?w
公開は明日です。その真実をこの目でしっかりと確認しにいこうと思います。

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愛を知らないけど見ました:『アベンジャーズ:エイジ・オブ・ウルトロン』の感想

「愛を知る全人類に捧ぐ」。『アベンジャーズ:エイジ・オブ・ウルトロン』をご覧になった皆様、どうですか?なんか捧げられました?自分は愛といった言葉からは程遠い人間なんで与えられた感はなかったかな。その代わりに得たものは大きかったですよ。
世界中で大人気のマーベルヒーローが総登場する作品だし、ヒーローそれぞれの映画だってどの作品も大ヒットしている。前作のアベンジャーズだって映画興行史を塗り替えるヒットを記録した。評価も上々だ。あれだけの数のヒーローを登場させてまとまりのある内容になってるんだから奇跡と言って良い。はっきり言って、ピンで作られたどのヒーロー映画よりも完成度が高い。ここだけの話し、アイアンマンってそんなに面白くないんですよ、面白かったのは最初だけ。スーツやアクション、それにキャラクターは良いんですけどね、でも話しがいまいち。ソーの二作目もそうだったなあ。いや一作目もそんなにのめり込むほどでもなかったような・・ハルクはどう評価すればいいんでしょうか、だって過去の二作は権利を持つユニバーサルが作った映画ですからね。だからなのか、あまりマーベルユニバースの縛りがなく自由に作った感じがして面白く見れたように思います。エドワート・ノートンが主演なのもよかった。
キャプテン・アメリカの一作目もそれほどだったかな。別に全ての作品が特別面白くないと言うわけじゃないんです。アメコミヒーローに苦手意識があると言うわけでもない。だってスパイダーマンは大好きな作品だし。でもここで言う好きなのは、サム・ライミ版のスパイダーマンのこと。アメイジング版も大した興奮は得られなかった。
文句無しに面白かったのは『キャプテン・アメリカ:ウィンター・ソルジャー』ですね。あれはアメコミヒーローの枠を越えた面白さがあった。スパイアクション映画といった内容になっていて、国家的陰謀に気づいたキャップが一人孤独な戦いを強いられるんです。キャップの行動理念はすべて愛国心からなっています。でもその国自体がもはや正義なんてものが存在しないことをキャップは知ります。ここでキャップの心が揺れるわけです。キャプテン・アメリカの物語は常にアメリカの歴史と共にあります。その中で葛藤して戦うのがキャプテンアメリカの魅力でもあるんです。映画の一作目もそうですよね、超人化計画で強靭な体を手に入れたキャップは戦争への参加と共に軍の宣伝材料としても利用されます。プロパガンダと言うやつです。だが一作目の第二次大戦時は、全ての国民と兵士がこの戦いを正義と信じて疑わなかった、それはキャップも同じです。しかし次にキャップが目覚めた時代では、利権のために無実の人間の血を流す戦争であることを誰もが知っている。キャップが戦う意味がなくなるわけです。ウィンター・ソルジャーのキャップはその巨大な壁に直面することになります。そういったシリアスな内容とヒーロー物語が見事にマッチした作品がウィンター・ソルジャーでした。
手放しで面白いと声を大にして言えるのはその作品だけでしょうか。その作品に匹敵する面白さと興奮を感じたのが『アベンジャーズ』ですね。面白さと興奮のベクトルが全然違う方向を向いてるんですけど。
例え一作一作の完成度に問題があるとは言え、そのヒーロー達が一同に集まる映画なんだから失敗は許されないわけです。言い換えるなら、これまでのそれぞれの作品は『アベンジャーズ』の前置きでしかない、いわば前座です、余興です。
主役の登場と成功のためにありとあらゆる手段を会社は尽くします。最高のスタッフにキャスト、そして莫大な資金と最新技術を投入して。長い前置きによってファンの期待も最高潮に達しているはず、その彼らを満足させるためには失敗は許されないのだ。そこに至るまでには実に念の入った計画があっただろうと思います。だってこれからもマーベルユニバーが続いていくんですから。更に長く、より大きくと。『アベンジャーズ』はその後へと繋ぐ大事な橋渡しなのだ。
その結果はもう皆さんご存知の通り。興行記録を塗り替え絶大な評価を持って迎えられました。
その続編が遂にやってきたのです。『アベンジャーズ:エイジ・オブ・ウルトロン』(AOU)。全世界の期待は前作よりも遥かに大きいでしょう。だからその期待に応えるために会社は前以上の力で作品の完成を目指します。そのハードルは途方も無く高い。おそらく一番にプレッシャーを感じたのは、前作から監督と脚本を続投するジョス・ウェドンであったはずです。
監督はこの作品を最後にマーベル作品からは身を引くそうです。完成直後のインタビューなどを見るとかなり憔悴しきった様子が見受けられました。そりゃそうですよね、これだけの大プロジェクトです、そしてマーベル映画の未来がかかっている、その命運が監督の手に委ねられているんですから。
ですが監督の努力と才能のおかげで作品は見事な出来映えとなって私たちの前に姿を見せました。
キャラクターが前作よりも更に増えたにもかかわらず、それをまとめる手腕は前作以上です。一つの完結した作品としても十分の完成度を持った作品にもかかわらず今後のマーベル映画へと繋がる伏線もしっかり張り巡らされている。監督はどのぐらいの先を見越して作品にキーワードを含ませているんでしょうか。もう凄いとしかいいようがありません。
ジョス・ウェドン監督の評価はもっとされても良いはずです。
ウルトロン以降のアベンジャーズに監督がバトンタッチされるのは、『キャプテン・アメリカ:ウィンターソルジャー』でメガホンを取ったアンソニー&ジョー・ルッソ兄弟になります。自分も大絶賛の作品の監督です。この兄弟はWSでも脚本と監督を兼任していて次のアベンジャーズでも見事な出来の脚本を披露してくれるでしょう。またこの監督の起用には映画がよりダークな世界観に入って行く事が理由にあるようです。WSがそうであったようにまさに適任といえるでしょう。
『シビル・ウォー』ではヒーロー達の分裂が描かれます。ヒーロー達の能力を危険視するアメリカ政府はヒーロー達を政府の監視下に置く事で彼らの活動を管理しようとする。それがスーパーヒューマン登録法です。その法案可決の先導に立ったのがトニー・スタークです。しかし、それを奴隷制度と同じだとする者がいて、政府に反旗を翻すヒーロー達が現れる。そのリーダーがキャプテン・アメリカです。なぜキャップがそうしたのかというと、キャップの理念に反したからです。この国の正義に強い不信感を抱くキャップはこの法案もその一つに過ぎないと考えるのだ。
今回の『AOU』ではその発端になる事件が発生します。トニーの発案した平和システムがウルトロンといった脅威を生み出しヒーロー達とウルトロンの戦いの中で多くの一般市民が巻き込まれ犠牲者を出すのだ。
映画は終始戦いの場面が続くのでこの戦いが社会にどんな影響を与えたのかといった描写は出てきません。でも今回に限らず前作だって同じようなものです。最後のニューヨーク決戦でどれだけの被害が出たことか。その時もその後の話しがされませんでしたよね。AOUではトニー基金で問題解決に当てようと言った会話が出てきますがそれで済むような問題ではない。AOUには新しい二人のヒーローが登場します。その兄弟は戦争孤児です。そうなった原因は、戦争に使われたトニーインダストリー社の兵器にありました。よって彼らはトニーを憎んでいます。
このように、世界では多くの争いが起こっており、その争いに関与しているトニーやアベンジャーズを憎んでいる者は多く存在します。そのつけが『シビル・ウォー』で一気に押し寄せてくるのでしょう。
ウルトロンとの最終決戦のなかで重大な選択を迫られるシーンも登場します。一部の人間の犠牲によって世界を崩壊から救うか、それとも彼らと運命を共にして世界の終わりを見るのか。ヒーローとは、人間とは、正義とはなんなのか、それら問いを激しく突きつけられるシーンです。その答えはでるのか?それはぜひ劇場に行って自分の目で確かめてもらいたい。
しかし一つだけ確かに言えるのは、彼らは命をかけて目の前の危機に立ち向かうということです。それが実に熱かった。特にホーク・アイにそれを感じます。他のヒーローよりも普通の人間に近いからこそ人の命の重さを感じられるんです。そしてもう一つの彼の秘密も・・日本じゃ散々そのシーンの予告が使われているのでもう分かっている人もいるとは思いますが。
う〜ん、だから「愛を知る全人類に捧ぐ」といったキャッチコピーもそんなに間違ってはいないかもしれませんね。
愛がないと誰も救えない。
でもそのキャッチコピーも次以降の話しには通じなくなっていきそうな予感がします。人類から疎まれるヒーロー達に愛を持って世界を救えるのか?
『シビル・ウォー』の公開は2016年5月6日からです。また公開が延期されないことを祈ります

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イカレた時代にようこそ:『マッド・マックス:怒りのデス・ロード』の感想

日本の野郎共、MADに染まったか?MADに染まってむかつく会社の上司をぶっ飛ばしたり、学校を途中でバックレたり、 エスカレーターを登るJKの短いスカートを覗き見ようとしたやつが多いんじゃないか?!(笑)まだまだあるはずだぞ、『マッドマックス:怒りのデスロード』を見てヤワな日本を変えてみろ、ヒャッハー!汚物は消毒だあ!俺はデスロードで死ぬぞおお!V8V8V8V8V8V8!!
とそんな感じでわたくし、本日は『マッドマックス:怒りのデスロード』の感想をさせていただきとうございます。
まあそういうわけでですね、映画にはそれほどのパワーがあると言うことです。昔に公開されたマッドマックスだってそうでしょ?特に2。あれを見た直後に車を爆走させた人間がどれだけいたことか。路面にタイヤ跡を残すマックスターンだってバイク乗りは真似をした。現在によくある秩序が崩壊した世紀末世界の物語はマックスがあったからだ。北斗の拳に真の男のかっこよさを見た人間は多いよな。「一片の悔い無し!」そう言葉を残して逝ってしまったラオウのようなに、俺もあんな男になりたいと思ったよな。でもそれも全部『マッドマックス』があったからだ。マックス・ロカタンスキーという人間がいなければラオウもケンシロウも存在しないのだ。彼らの戦いと男の強さは全てマックスと言う男に集約される。
そんな時代を変えたマックスが新たな新作として帰ってきた。求めるものは一つだ、また俺たちを誘ってくれ!しかし心配が一つ。マッドマックス3を終了させて以降、ジョージ・ミラー監督は、すっかり動物の可愛さに魅せられてしまったのだ。子豚が主人公の『ベイブ』、ペンギンが歌い踊る『ハッピー・フィート』、トラやライオンといった猛獣ではない、まだそちらのほうが暴力が支配する無慈悲な世界を創造することができる。でも違うのだ、誰もが無条件に可愛いと口にせずにはいられない子豚とペンギンが主人公なのである。どこに世紀末世界が広がっている?!
しかしそれは早合点というものだ。その愚かさを自分はつい最近悔いる事になった。
あえてこれまで無視を決め込んでいた『ハッピー・フィート』でしたが、マッドマックスの最新作が公開されることと監督のこれまでの作品を見続けてきた知り合いの後押しもあって映画を見てみたわけです。そしたらこれがもう目から鱗というか、監督のかつての意思が錆び付いていないどころか、自分が知るあの頃とは違う、ストーリテラーとしての監督の成長ぶりと上手さに驚いたのでした。
氷点下と凍てつく暴風が吹き荒れる世界。そして自身よりも遥かに巨大で獰猛な外敵が潜む南極大陸。そんな常に死と隣り合わせの過酷な地でペンギンが生き残っていくということがどれほどのことなのか。また食料の宝庫と思えた海も常に潤ったいるわけではない。何日も何日もその日がくるまで絶えなければいけないことがあるのだ。そんな彼らを虎視眈々と狙う外敵たち。まるでマックスの世界ではないか、赤茶けた荒野は白く染まった氷の世界に姿を変えたのだ。そんな白い荒野を主人公のペンギンは彷徨い歩く。
嵐の中を、獲物を狙う猛獣の中を、人間が踏み込んで破壊した死の世界を。
なぜ主人公はそうするのか。それは人間が犯した罪にあります。放たれる有害な大気は温度の上昇と共に氷を溶かし、必要以上に行われる漁は生態系をも変えてしまいます。主人公らはそうなった世界の原因を確かめるために見知らぬ彼方を目指すのだ。
どうです?マックス的でしょ?そしてメッセージ性があります。傲慢で愚かな人間がこのような世界を作ってしまったのだと。環境保全と動物保護を訴えるのも人間の勝手な言い分です。自然を想うのではなく自分たちが生きるためにそれをしてるにすぎないのだ。
南極に住むペンギン達に最大の危機が訪れます。それに対して人間がとった行動とは?最終的には、ペンギン達とそこに生存する動物たちが強力することでその危機を乗り切るのです。
実はそんな弱肉強食の世界に生きる者たちも自分達が生き残るために懸命なのだ。子を守り、仲間を守り、子孫を残すために彼らは戦っているにすぎない。世界はそうしてなりたっているのだ。
そんな彼らが一つになるラストに、監督はマッドマックスの未来を見ているのかもしれません。
『マッドマックス:怒りのデス・ロード』は、イモータン・ジョーと呼ばれる統治者が作った王国が登場します。しかし決して暴力だけで支配する独裁者ではない。カリスマ性があり彼を心酔する者が多くいるのだ。王国には社会システムが存在し人々はそこでそれぞれの役割についている。それは全て、この地獄となった世界を生き残るためだ。
その王国から女性達がさらわれてしまう。さらったのはイモータン・ジョーの部下だった女戦士だ。女達はイモータン・ジョーの子を産むために囲われていた。女戦士はそんな彼女たちを連れて緑豊かな安住の地を目指すのだ。彼女のとった行動は同じ女性だからこそだろう。映画の中盤で分かるが、女性達の扱いは決して酷いものではない、むしろ大事に扱われていたほどだ。イモータンの目的は種の存続にあるのだ。また愛も存在していた。
映画は、その女戦士と花嫁達を奪い返そうとするイモータンジョー率いる車両軍団との追跡バトルが展開される。そこにマックスが巻き込まれることになる。マックスは過去の亡霊に捕われ生きるための希望も目的もない荒野を彷徨うだけの存在だ。
怒りのデスロードにおける登場人物達にはそれぞれに生きる理由が存在する。そこには、はっきりとした善と悪の線引きは存在しない。全員がただ生き抜くためにもがくのだ。それは先にも述べた『ハッピー・フィート』の世界にも通ずる。弱肉強食の氷の世界に生きる動物達だ。氷の大陸から荒野へ。変わったのはそれだけ。
もしハッピー・フィートを見てなければ怒りのデスロードをこのような視点で見れなかったはず。だから正直に言うと、タイトルにマッドとついてはいても前三部作のようなマッドな印象を怒りのデスロードには感じないんです。根っからの悪人には見えない。狂気を感じるという意味では前作よりも遥かにマッドですが。ですが悪ではない。江頭2:50分も狂気は感じるけど悪とは感じないでしょ?(笑)
生存競争を勝ち取るための戦いと言いますか、怒りのデスロードにはそれを感じます。もちろんその戦いは凄まじいものです。本能の赴くままに従う、まさに野生の戦いです。原始の戦いですよね、人類がまだ類人猿だったころの。
ジョージ・ミラー監督はこの先の構想も考えてるそうです。おそらく再び激しい生存競争が繰り広げられるはず。ですがその結末は世界と人類にとって良いものになるのではないかと思っています。あの『ハッピー・フィート』のラストのようにね。
『マッドマックス:怒りのデスロード』の動画を作りました。一本目は世界観を表現したミュージックビデオ、二本目は車のおもちゃを使ったコマ撮り撮影動画です。二本目は以前作ったやつからの流用ですが(笑)よろしければご覧下さい。

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チャッピー萌え:『チャッピー』の感想

今頃チャッピーの感想です。ツイッターを始めてから本当にブログの更新が少なくなってしまいました。みんな両立してるのかな、なかなか難しい状況です。
皆さんは、ニール・ブロムガンプ監督の作品にどんな印象を持ってますか?
監督の作品には決して明るい未来世界は登場しません。テクノロジーが進みこそすれ、一方では、社会システムが崩壊し公害と環境破壊が蔓延する破滅的世界が主立った舞台となります。このような世界観をもった作品は多く存在します。ディストピアと呼ばれるものです。代表作には『ブレードランナー』があげられます。『マットリックス』もディストピア映画です。
監督の作品は南アフリカを舞台にしたものが多く、今現在の南アフリカも映画のような混沌とした状況で、異なる人種間での争いや貧困や飢えに苦しむ人が絶えません。そんな地で生まれ育ったからなのか映画には非常に説得力がある。
監督が描くそんな世界観が好きと言う人もいるでしょう。そして監督のもう一つの特徴、それがメカです。日本のロボットアニメが好きだと公言するだけあって登場するメカやロボットはそれを意識したようなデザインになっています。はっきりいって中二病的デザインですね。二足歩行ロボのデザインは断然これがカッコいいぜ!こんなパワードスーツを身につけたい!そんな会話を喜んで出来るような人が好むメカがたくさん登場します。
そんな監督作が好きと言う人もいるでしょう。
つまり結論づけると、監督の作品は実にマニアックだと言うことです。故に興行面では良い方に結びつかない。低予算で製作されたデビュー作の『第九地区』は、かつてなかったタイプのディストピア世界と衝撃性の高いストーリーと相まって結果的に興行面で成功を収めました。そのヒットを受けて莫大な制作費を託されて作った二作目の『エリジウム』でしたが、こちらは期待されたほどの結果は残せませんでした。ストーリーの面白みの差こそあれ、この結果は当然のようにも思います。別に特別つまらないわけではない、前にも説明したようにSFファンなら歓迎されるタイプの映画のはずです。それです、その一定のファン層にしか支持を受けなかったのが最大の敗因です。しかもグロシーンも挿入されるという、やっぱりその筋のファンなら大歓迎と言う内容です。世紀末SF、ロボット、グロ、こんなマニアックな作品が一般受けするはずがない。
そして次に作られたのが最近日本でも公開された『チャッピー』です。アメリカで公開される前の最初の予告を見ると明らかに監督のこれまでの作風と違っていました。その印象を一言で言うなら「心が暖まる映画」です。
意識を持つようになったロボットが、最初は怯えながらも人との繋がりで少しずつ人間らしさを身につけ家族になっていく。
次の作品のタイトルがチャッピーになると聞いた時から違和感を感じていましたが、予告を見てそこで初めてその違和感の正体をしりました。ここで思いました、なるほど、路線変更をしてきたなと。ハートフルな作品で一般層にもアピールしようといった考えです。またチャッピーが本当に可愛い。ロボットオタク達の心を掴むと同時に女性客をも虜にする。チャッピーにはそれほどの可愛さが備わっているのだ。
しかし続く第二弾の予告を見て驚きます。なんとゴリゴリのハードSFバトルアクションに変わってるではないか!
実はそっち路線だったの?!自分的には以前となんら変わらない監督の趣味に喜びはしましたが、監督と映画会社の真意がさっぱり掴み兼ねます。いったい本当はどっちなのか。
そして遂に公開の日がやってきました。疑問の答えは果たしてどっちなのか。
結果を言うと、監督のこれまでの路線と新たなハートフル路線がバランスよく融合した今までの作品のなかでも最も見やすい作品でした。どちらの路線も非常によくできた話しです。グロも一カ所あるし(笑)。そこまでしてグロがやりたいんでしょうか(笑)たった一カ所なのになくてもいいのでは?ただその個所は相当なグロです。正直言って本編からかなり浮いています。日本の配給会社の判断でそのシーンをカットしたんですがその判断は正しいと自分は思っています。ただ無理にカットしたせいでシーンとシーンの繋がりが多少不自然になっています。監督って本当にグロが好きなんですね(笑)
おそらく会社からもとやかく言われたんでしょう。今までとは違う要素を入れろとかグロを極力少なめにするようにとか。あのグロシーンは監督の意思表示なんでしょう。
監督のこれまでの作品にはもう一つ共通することがあります。それは主人公に感情移入しずらいこと。言ってみれば、かなり性格が悪いんです。基本的に自分のことしか考えていない。まあ自分の置かれてる状況を考えるとそれもしかたないことだとは思いますが。しかしそれでも見てて腹が立ちます(笑)でも最後の最後で自身が犠牲になることで弱者を救うんですけど。まあ究極の選択ですね、どうしようもない人間が追いつめられた末に最後に決意する。その選択のしように本来の人間らしさがあるのではないかと思います。初めから使命感のあるヒーローなんて現実にはなかなかいません。それを監督は描きたいのでしょう。
そういった描写は『チャッピー』にも見られます。悪い人間なんだけど最後には良き選択をするって言うね。その描写がこれまでの作品以上に胸を打ちます。悪い人間であるけど単に頭が悪いっていうか(笑)けっこう愛すべきキャラではあります。しかしそんな嫌なやつらの複雑な心理なんて一般の観客は見てて楽しいはずがありません。そこで生まれたのがチャッピーと言う主人公でした。生まれてまもなく正義と悪の区別もつかない赤子のようなチャッピーに観客は純粋に感情移入したのでした。
あと監督の作品には追う者と追われる者といった関係性も描かれます。作品で描かれる本当に悪い者はその追う側の方です。『チャッピー』ではそれをヒュー・ジャックマンが演じます。今までに演じた事の無い役柄は必見です。
あともう一つ。『第九地区』が優れていたと言われる理由にエンディングの余韻があります。その後はどうなるのか分からない、もしかしたらハッピーエンドかもしれないしそうでないかもしれない、そんな観客の想像に委ねるラストが『第九地区』の素晴らしいところでした。
『チャッピー』ではそんなエンディングが再び描かれます。人類の未来を問うたラストになっており、そこには希望と恐怖が潜んでいます。自分はこのエンディングには驚かされました。意思を持ったロボットと彼を取り巻く人間達との家族の映画だと思っていたものがこんなにも壮大な結末になるとは。
今までの監督のキャリアの中でも一番のできの映画ですが(一般受けもしやすいという意味も込めて)、しかし興行面では、やはりなかなか思うようにいかなかったようです。評価は真っ二つですね。どうも以前のスタイルが好きだった人間が今回の作品を批判しているように見受けられます。
今後はどのような作品を作っていくのか気になるところです。しかし決まりました、次の作品は監督の念願である『エイリアン』の新作になります。しかも監督が愛してやまないと公言する2の続編として。ほとんど自分の趣味として暖めていた企画が20世紀FOXに認められてトントン拍子で製作が決まったようです。趣味と言いつつイラストなどの詳細な資料が完璧に揃えられていた状態でしたからそれに会社も感服したのでしょう。作品でずっとコンビを組んで来たシガニー・ウィバーの後押しもあったと思うし。
そんなわけで、当分は監督の趣味に我々はつき合う事になりそうです。

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映画レビューから最新作の情報配信まで、映画に関する面白いことなら何でも書いちゃおうといったブログです。また映画フィギュアの紹介とそれを使ったコント劇も作っています。なぜか真面目な話が作れません(笑)と言うか、お笑いのほうが作ってて面白いし。
読んでくれた人に笑って楽しんでもらえる、そんなブログを目指しています。たまには真面目なレビューもするよ(笑)

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