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怪獣とおっぱいは最高なのである

『キングコング:髑髏島の巨神』を見たが、怪獣映画の魅力とはこういうことだ、それを改めて思い知った、いや初めて知ったと言ってもよい映画であった。
自分は特に怪獣ファンというわけではない、世代的には昔の特撮ヒーローやそれに登場する敵怪獣に子供の頃から夢中になっいてもおかしくはないのだがその記憶がほとんどない、日本が世界に誇るスター怪獣のゴジラシリーズでさえまともに見たことがないのだ。なぜ見てなかったのかは定かではないが大人になってからはリアルなハリウッド特撮映画を見慣れすぎてしまったことによりどこか日本の特撮怪獣作品に幼稚で低レベルな子供向け作品といった偏見を持ってしまっていた。
しかしその考えを一変させてくれた作品が現れる、それが『パシフィック・リム』である。
巨大怪獣たちと巨大ロボットとの戦いを日本製アニメのような迫力ある映像と演出で描いたこの作品に心底興奮した。
実はこの興奮は、監督の日本の怪獣作品とロボットアニメへの愛とリスペクトがあったからもたらされたものなのである、決して巨額で作られた作品だからというわけではない。
そして今回見た『キングコング:髑髏島の巨神』もそう。
この映画の監督も『パシフィック・リム』の監督と同じく日本の怪獣とアニメの熱狂的なファンとして知られている、いやそれ以上といった印象だ。インタビューでは自分が見たいと思ったものを全て注ぎ込んだと語っていてそれがどんなものになるのかと期待は膨らむばかりだ。
予告を見るとそれが偽りのないものだとわかる、異形の巨大モンスターが次から次えとのオンパレードなのだ。はっきり言って主役のコングが霞むほどの存在感。そのインパクトは本編を見てさらに爆発する。
そのインパクトを手っ取り早く感じてもらうにはイラストレーターの開田裕治氏が手がけた日本版ポスターを見てもらうのが一番だ、まんまあれ。
コン1

登場する様々な巨大モンスターがポスターのほとんどを占めていて人間は下に小さく描かれているのみ。同じ人間でも髑髏島の原住民の方が大きく描かれていて島に乗り込む武装したアメリカ人らは本当に豆粒同然。主役はあくまでも巨大モンスター、文明の利器を有した人間などは鼻くそ程度の扱いでしかない(笑)。
次々と現れる異形の怪物に鼻くそらが抵抗できず無慈悲にやられていくさまのなんと痛快なことか。その一方で我々人間の無力さにも思い知らされる。巨大怪獣とはこんなにも恐ろしい存在なのだと。
生態系の頂点にいると思い込んでいる傲慢な人間たちを容赦なく排除するその描写は怪獣作品の根底にあるテーマだ。
次はどんなモンスターが現れ驚かせてくれるのか、映画を見ながらそんなワクワクとドキドキが止まらない。それらの前では、主演俳優のトム・ヒドルストンもブリー・ラーソンといった人気俳優らであってもやはり鼻くそ同然(笑)。本当になんでいるのかわからない扱いなのだ。唯一同じ土俵に立てたのがサミュエル・L・ジャクソン。やはりさすがです。多くの部下がコングと怪獣に殺されてその復讐に燃える狂気の軍人を演じています。彼のいつもの名セリフも用意されてるぐらいですから監督もそれ相応のポジションをサミュエルに与えて彼もそれにちゃんと応えています。
あと怪獣と互角に渡り合えたのが、ブリー・ラーソンのタンクトップと巨乳。戦う女にタンクトップを用意することも監督はちゃんとわかってくれています。素晴らしい巨乳に目が奪われ時折怪獣のことを忘れてしまうところであった。
コン2
コン3

あと怪獣との戦いに日本刀が使われて謎の強力武器と化すあたりに未だに海外ではサムライ最強説があるようです(笑)サムライソードを使うシーンがやたらかっこいい。
好きなものと見たいシーンを全てぶち込んだ、その監督の言葉に納得したあっという間の2時間であった。
だが早々と席を立つのは禁物、エンドロール後には続編に繋がる重要なシーンが用意されていますので必ず最後まで見るように。
あのモンスターとあのモンスターとあのモンスターが・・・
そして咆哮に鳥肌を立ててください。
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『ファンタスティック4』の感想

「ファンタスティック4」を観賞。
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公開前から何かと不穏な噂を振りまいた話題の問題作である。
評価は軒並み前代未聞の低評価、またその評価は全て製作会社のせいだと監督がツイートする始末である。自分が作っていたものを改善されたというのだ。それがなければ全く違った評価になっていたに違いないと。確執は会社だけではなく俳優ともあったようで、今後ジョシュ・トランク監督がハリウッドで生き残っていく可能性はほとんどないといっていい。前作の「クロニクル」の評価が高く自分も大好きな作品だっただけにひじょうに残念な思いだ。
そんなバッシング一色の中での作品観賞となったわけだが・・・
良い!良いじゃないか!俺は支持する。
公開前から監督が口にしていた「ザ・フライ」のテーマもちゃんと盛り込まれている。”進みすぎた科学を過信し無闇に使用してはならない”といったものだ。その結果の悲劇が四人の誕生なのだ。ヒーロー映画というよりかはSFホラーのテイストが強い。変貌した彼らが実に不気味だ。
しかしそれも途中まで。その変わり果てた彼らの苦悩があると思わせて次の瞬間にはいきなり能力を使いこなしているのだ。おそらく大幅にカットされたのはその部分だろう。それ以降の展開は取って付けたような悪とヒーローとの戦いになっていく。流れがあまりにも唐突に変わりすぎるのだ。
ただ全てが全て勝手に変更されたわけではなさそうで、監督が好きな「アキラ」の超能力バトルをそのまま使ったようなシーンもあり最後まで監督不在ではなかったようだ。やはり中盤にあったと思われる登場人物たちの苦悩とそこからの復活がカットされてしまったのだろう。
それさえあれば評価が違うものになったと語っている監督の言い分も分かる。だがそれでも異端の作品であることには違いない。
これまでのヒーロー映画のノリで見ると確実に戸惑うが、先に話したSFホラーが好きなら決して楽しめないものではないはず。でももし続編があるならそれは期待できそうもない。彼らは最後に意気揚々とチームの名を決め宣言するのだから。これまでのようなヒーロー映画が好きな人は続編に期待していいかも。
最後に、どうかジョシュ・トランクを見捨てないでやっていただきたい。

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

相変わらずのウォシャウスキー作品:『ジュピター』

ツイッターのミニレビューから
「ジュピター」を鑑賞。マトリックス以降、観客のニーズと本人らが作りたいものにズレがあったウォシャウスキー姉弟だが、ようやく普通に楽しめる作品を完成させた。だがあまりにも普通すぎて敬遠する人がいるのも事実。作品を一言で言うならスペースオペラだ。宇宙を舞台にした冒険活劇。
しかしスター・ウォーズのような壮大な叙事詩を描いたものではなく、宇宙の危機を救うためにヒーローとヒロインが活劇を繰り広げるという、ややファンタジックな味付けのある物語。史実的扱いのSWとは違い空想冒険活劇の色が濃い。ガーディアン・オブ・ギャラクシーもその類に入る
空想SF冒険活劇にそこまで凝った物語は必要ではない。特にジュピターはそれが潔く、本当に物語は単純明快だ。ヒーローとヒロインの関係も思った通り。要はビジュアルで楽しませてくれたらそれで良いのだ。そこは合格点。宇宙を舞台にした物語とCGの相性の良さは格別だ。
驚きの少なくなってきている最近のCG映像だが、まだまだ胸をときめかせてくれるものがあるのだとSF映画の可能性に夢を抱かせてくれる。今年公開される新スターウォーズは果たしてどんな夢を見せてくれるのだろうか。
ここからはミニレビューの補足
木星
ミニレビューではかなり良い印象のように書いたが、正直、誰それかまわずオススメできるものではない。
確かに『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』は世界的に大ヒットしたがあれはマーベル映画であったからこそだ。アベンジャーズで多くのマーベルヒーローが共演したようにガーディアンの世界観もそれらと共通しておりいずれ共演する可能性を秘めている。そしてそのための布石をそれぞれの作品ごとに散りばめているのだ。
それに対して『ジュピター』は完全オリジナルだ。今時ひじょうに珍しい。宇宙を舞台にした冒険活劇なんて大ヒットするとはとても思えない。まあ確かに宇宙を舞台にした映画はありますよ『トータル・リコール』や『スターシップ・トゥルーパーズ』や『エンダーのゲーム』とか。でもそれら映画のようなものではない。巨大なトカゲに翼が生えた姿の宇宙人など先に述べた映画には登場しない。やはり『スター・ウォーズ』と同じ系譜に位置する。でもそれも同列にするのは失礼な話し。
そんな映画を作ることによく製作会社がOKを出したものだ。しかも作る作品作る作品がことごとくヒットに恵まれないウォシャウスキー姉弟監督の作品。
M・ナイト・シャマランと同様にハリウッド業界の七不思議の一つだ。失敗するとしか思えない作品によく何十億もお金を出すなあ。
確かにクリエイティブ性は認めますよ、毎度毎度オリジナルの違う作品を作ってるわけだし。だからってそれが面白いとは限らない。漫画週刊誌で連載するごとに直ぐに打ち切りになる漫画家と同じようなもんだ。でも漫画はあくまでも個人作業、失敗の責任は基本的に作家一人が取ればいい。しかし映画は違う、数百人という人間が作業に携わっているのだ。失敗すれば彼らの努力と想いが泡と消えてしまう。
今回の映画を見れば分かるが、CGや美術や衣装などは本当に凝っているのだ。おそらくスタッフの中には映画に疑問を持ってる人間も多いはず。しかしそれら映像が素晴らしいのは、スタッフそれぞれが自分の手掛ける仕事に自信と誇りを持っているからだ(お金を前払いされてるといった理由もあると思うが)。だからこそ作品が失敗した時のことを思うと報われない。出来る事なら映画が絶賛され大ヒットしてほしい。そうなればそれが名刺となってスタッフの今後の仕事にも繋がる。
そんなリスキーな部分を多く抱えた作品が作られるという謎。ウォシャウスキー監督らにはそこんところを考えて映画を作ってほしいなあ。あとはなによりも、先ずは観客のことを考えて映画を作ってもらいたい。
そんな映画ばかりだと芸術としての映画文化が衰退していくことも分かってるけど。そうなってしまうと世の中マイケル・ベイが作るような映画ばかりになってしまう(笑)
とは言っても、今回の新作はこれまでと比べてかなり敷居が低くて誰もが普通に見れるレベルになっています。
だが敷居をめいいっぱい低くしたせいであまりにも普通すぎて退屈な内容になったのも事実。
どこかで見たアクション、どこかで見たエイリアン、どこかで見た宇宙船、どこかで見た話し、どこかで見たラブストーリー、すべてがそんな感じなのだ。
作りたいものを作って個性を出すととやかく言われる、誰でも見れる映画を作ったら作ったでまた文句を言われる。なんとも扱いが難しい監督である(笑)

テーマ : 映画レビュー
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ラプトルかっこえ〜:『ジュラシック・ワールド』の感想

『ジュラシック・ワールド』の全米興行収益がとんでもないことになっている。あのアベンジャーズを抜いて留まる事を知らない快進撃を続けているのだ。その勢いは歴代最高の『アバター』に迫る勢いだ。この大ヒットの理由はなんなのか?もちろん第一作は映画史に燦然と輝く記念碑的な作品だった。それ以前は水や金属などの無機質な物体を描くことしか出来なかったCGが初めて生物をリアルに描いた作品だったからだ。22年前の作品だが、そのクオリティは現在の作品と比べても全く見劣るところがない。公開前夜にもう一度見直して感じたことだが翌日に新作を見てより一層確信した。
確かに生物をリアルなCGで描くことに成功したが仮にそれが恐竜ではなく他の生物だったとしたらあそこまでセンセーショナルなものにはならなかっただろう。やはり数億年前に滅びた恐竜を現代に蘇らせたからこそだ。
しかし人間の技術の進歩と慣れとは恐ろしいもので、一旦その技術が公開されるや否や、急加速的にCGレベルが向上して行く。もう再現出来ないものがないといっていいだろう。
そうなると、もう驚きは存在しない。昔のSF映画のリメイクが今盛んに作られているがそのどれもが凡庸的で良い感想をもった覚えがない。作品の出来そのものもあるかもしれないがバトルシーンにCGが多様されたせいでそう感じる部分があるのかもしれない。ED209なんて絶対にストップモーションアニメのほうが味がある。
昔の特撮には作った人の創意工夫の努力が感じられて特定の特撮アーティストに敬意を持てたものだ。スタン・ウィンストンやロブ・ボッティンやフィル・ティペットなどがそう。
実はそのような時代の流れに異を唱えて見直そうとする向きが最近にはある。昔ながらの人の手で作った模型と最新の技術を組み合わせるといったものだ。実寸の模型で再現可能であるものならできるだけそれを使っていこうという意識が高まってきている。特にそのような映画で育ってきたマニアックなこだわりのある監督ほど意識が高いようだ。ダークナイトやインターステラーのクリストファー・ノーラン監督もその一人で、劇中で登場する車や戦闘機や宇宙船などは実寸大の模型やスケールを小さくした模型を使っている。中には実際に機能するものも存在する。インターステラーに登場したロボットも実寸だ。
今年の暮れに続編が公開される『スターウォーズ』もそうだ。J・Jエイブラムス監督はエピソード4〜6の再現を目指していて実寸大の宇宙船やセット、特殊メイキャップをした被り物の宇宙人にこだわる。
後々に語られる作品とはそんな創意と熱意が感じられる作品なのだ。そうでしょ?昔の特撮セットの写真とか見ると楽しいじゃないですか。
しかしCGになるとそれを感じられなくなってしまう。作れて当たり前、いや作り手の姿、作られたといった意識さえ感じることができないだろう。実はそれはそれで大変な労力であるが、その労力を思って感動したりはしない。あの『ジュラシック・パーク』の続編までもだ。あの感動が僅か数年ばかりで見るも変わり果ててしまった。
そして初めての公開から22年、新作が再び帰ってきた。
その間に公開されたCG映画は数知れない、もちろん技術的な向上も含めて。
『ジュラシック・ワールド』のこの大ヒットはCGで再現された恐竜の凄さなのかと一時は考えはしたが前の説明から察するにその可能性は低いと言える。
もしくは、前回からかなりの年数が経っているので劇場でジュラシック・パークを体験したことがない若い世代がスクリーンの中に蘇った巨大な恐竜の姿に感動したのか。
しかしそれだけではここまでの大ヒットに繋がった理由を説明するには少々弱い。もっと他に決め手となるような理由があるはずだ。
これまでメジャー作品を撮ったことがない、それもごく小規模な低予算作品を作ってきたコリン・トレボロウ監督がいきなり大作に抜擢された理由も分からない。しかもこういった作品とは縁のない監督と言える。ゴジラの時とはわけが違うのだ。もしかしたらここに大ヒットの鍵を見つけるヒントが隠されているのかもしれない。理由がなければ抜擢されないからだ。
そんな様々な想いを胸にいざ映画に挑んだわけだが・・
いきなり言ってしまうと、正直なぜここまでの大ヒットに繋がったのか分からないんですよ。実際に見ても全く分からなかった。凄いと思えるような決定的な決め手がない。ただことわっておくが、別にヒットしない、面白くないと言っているのではない。この異常なまでの大ヒットに、そこまでの作品とは思えないだけだ。
映画は、前作の島での騒動から20年以上が経った話しで、既に島はパークとして正常に機能して多くの観客達で賑わうアトラクション施設になっているんです。
しかし島では、スポンサーや運営者、軍の人間が絡む利権的欲望が渦巻いていて、その結果、より刺激のある、より力の強い恐竜が求められ誕生することになります。
この辺りは一作目から変わるものがないと思います。多くの企業がそこに利用価値を見出して裏で画策する。
そんな思惑が結果どんな事態を招くのか。人間の愚行は繰り返されます。それは人類の歴史が証明している。再び恐竜達が外へと放たれ人間達は恐怖に晒されるのだ。
一作目をなぞらったのはそれだけではない。主要な登場人物達が置かれる状況もシリーズを踏襲したものになっている。事の発端とシチュエーションが一作目からアップデートされたといった印象なのである。
別に機を狙った内容ではなく、非常にオーソドックスな作りだ。時間的な経過を考えるとパークの開園も当然の出来事と言える。実際その光景を見てみたいとも思えるし。それこそ現在のCG技術が最も活かされる場だ。
そうあって然るべき物語と一作目を踏襲した展開、そこには別段目新しく驚きのある内容はないと言える。
監督は原点回帰とも言ってますが、おそらくその狙いは別にもあるのではないかと考えます。
監督は今後の展開としてパークの外に広がる話しを考えてるそうです。恐竜が様々な世界で様々な利用をされていることも示唆しています。その過程で多くのタイプの恐竜が誕生している可能性もあるでしょう。それは今回の映画を見れば明らかで新しく生み出されたインドミナスレックスは多くの生物達の細胞が組み合わされた多種多様な能力を有しています。その布石として今回のような物語にしたのではないでしょうか。いきなり外の世界の話しにしたのではあまりにも唐突すぎる。一作目を知らない人もいるでしょうし先ずは下地をしっかりと作ってから、分かりやすく段階を経て次に、そんな考えもあるのではないでしょうか。
確かにオーソドックスな作りではあるが、だからといって退屈するものではない。パークには数万人の人間がいてそこに獰猛な恐竜が放たれるわけだから、そこにはパニック映画としての恐怖とスリルが十分にある。だがそれもそうなって当然といった想定の範囲内でそれ以上のものはない。実はそこが監督の腕の見せ所と思っているのだが、自分にとっては思ってた以上のスリルを感じなかったようだ。個人的には恐怖や残酷性がもっとほしかった。
ストーリーなどは端から期待してなく、恐竜が暴れてなんぼの映画と考えてるから、そのような期待をしてしまうのだ。でもそれも贅沢な話しなんですけどね、強い刺激のある映画を長年見続けてきた結果がこれなんですから。いつの頃からか純粋に映画を楽しめなくなってしまった。おそらく多くの人間が『ジュラシック・ワールド』を楽しめるはずです。
しかしこんな自分でも興奮した個所があります。予告にもありますが、敵を倒すためにラプトルと人間が強力して出撃するシーンです。最も苦しめられたかつての敵が今度は心強い味方として登場する。ターミネーター2と同じ原理ですよね、このシチュエーションが最高に熱いんです。
実はこういったシチュエーションがシリーズの今後の流れを左右するのではないかと思います。ラプトル達を飼い馴らす事に成功した主人公のオーウェンが言うんですが、自分は訓練して飼い馴らしたのではなく彼らと対等の関係を築いただけなのだと。信頼関係があるからこそ共に行動が出来ると話すんです。
この信頼関係は最後のラストバトルでも熱い展開として活かされます。詳しくは語れませんが是非ともそこは期待して見ていただきたい。目を輝かしながら興奮すること間違い無しですから。22年間待ったかいがあったと思える内容になっています。あの方にとってもまさに待ったかいがあったといった見せ場です。もうこれ以上は語れません(笑)
数々の謎を残しながら映画は次へと繋がって行きます。コリン・トレボロウ監督が言うように、果たして物語りは島を出て新たな展開を見せるんでしょうか。自分達が知らなかった世界と誰も予想し得ない物語、そんな映画を次に期待したいと思います。
最後に、なぜここまでの記録的大ヒットになったのかについてですが、やはり分からないんですよ、前にも言ったように決定的な何かがない。でも前作をリアルタイムに見てない人にとっては相当なインパクトになるのは確かです。20年という長い年月がそういった人間を作ったということでしょう。そしてみんな恐竜が大好き(笑)

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シュワちゃんの筋肉にウホッ:『ターミネーター:ジェニシス』の感想

前回のブログでターミネターへの想いを書きました、そして最後の締めは、ジェームズ・キャメロン監督本人の「これは私の作ったターミネターの正当な続編である、そして大どんでん返しに驚いた」その言葉の意味を自分の目で確かめると。どんな作品が作られようともキャメロンが作った作品以外は認めることが出来ないといった信念が自分にはあります。しかし、その敬愛する監督自らがこれこそがターミネターだと認めている。しかしやはり不信感が拭えないんです。特に大どんでん返しといった言葉、あの誰も体験したことがない映像をクリエイトする監督がそんなありきたりな言葉を使うだろうか、あまりにも素人臭い感想ではないか、いや、でもそのキャメロンでも驚くようなストーリーが用意されているのかもしれない。そんなもやもやした想いを払拭するべく劇場へ赴いたわけです。公開は先週からの金曜日でした。しかし自分は仕事があるので朝と昼は観に行けない。仕事もままららない状態をなんとか乗り切り、そして終業と同時に猛加速で劇場へ向かったのでした。劇場の明かりが落とされ遂に始まるターミネーター・ジェニシス。
冒頭は、マシンと人類との戦争場面から始まります。1でカイル・リースの回想や言葉で語られ、2の冒頭で少しでけ映像として登場した未来の戦争です。その戦争が詳しく語られます。初め劣勢を強いられていた人類がジョン・コナーの出現によって形勢が逆転します。そこでマシンはそれを覆すために一体のマシンをタイムマシンで過去へと送る。それがターミネーター、サイバーダインモデル101型、通称T800です。T800の目的はジョンの母親を抹殺することでした。そうすることで未来のジョンの存在を消そうと考えたのだ。それを阻止するために過去へと送られたのが人間のカイル・リースでした。その送られた世界で展開されるのが前作の1と2です。ターミネーターファンなら未来の戦いを見たいと一度は思ったはずです。その戦いがジェニシスの冒頭で描かれるんです。
そこは満足のいくものでした。やはり自分も過去色々と妄想しましたからね。
次に場面が変わるのは過去のシーンです。そこで自分は感動しました。なんと過去何度見たターミネーター1の映像が目の前の巨大なスクリーンに映されてるではないか。もうそれが凄いんですよ、アングルから台詞、風景や使われた道具までが全く一緒なんです。出てくる野良犬まで(笑)だが肝心のターミネーターはどうなんだ?いくら風景や道具を似せても人間をまったく同じに再現するなんて無理だろう。確かにCGの技術は進歩した、だが今のすっかり筋肉が衰え老人になってしまったシュワちゃんを筋肉モリモリのピチピチシュワちゃんに変えるなんて不可能もいいとこだ。
だがびっくり、これが完璧に再現されてるんですよ、もうムキムキピチピチでウホッって感じです(笑)こんなシュワちゃんを拝めるなんて、ありがたやありがたや。あと面白いのが、当時劇場でぼかしがかかっていたシュワちゃんの股間も同じように暗く処理がされていたことなんです。だってCGで作られているんですよ、それなのにぼかしって(笑)
そこでまた感動してしまいました、制作者のこだわりは相当なものです。シュワが殺す不良三人組も一緒。彼らがふざけ合ってる姿も何から何まで。
その後カイル・リースが登場します。もちろんここからの流れも同じです。自分は劇場でリアルタイムで体験しましたからあの興奮が蘇ったようで本当に感動しました。やはりターミネーター1を劇場で見るのは最高だと。いやいや勘違いしてはいけない、これはターミネーター・ジェニシスなのだ(笑)まあ、それぐらいの再現度だったわけです。
では、なぜそこまでの再現度でならないといけなっかたのか?それには理由があります。実はこの作品はオリジナルの物語から分岐していく物語なんです。実はもう一体のターミネーターが1984年よりもさらに過去へ送られていてそのせいで歴史が変わってしまったといった話しになっています。だからターミネーターの一作目を忠実に再現してるんです。カイルが登場し警官に負われデパートに入る場面も同じです。しかしその警官はT2に登場したT1000に変わっているんです。それも過去へ別のT800が送られてしまったのが原因です。
しかしです、これだけでは納得できない、それではオリジナルを完全否定することになってしまう。自分が好きなのはあくまでもオリジナルの物語なのだ。そこで制作者はもう一つのアイデアを加えます。オリジナルファンを納得させながらも全く異なる物語へ派生させるアイデアを。
そこに納得ができるかいなかで作品の評価が別れるといっていいでしょう。だが自分は納得ができませんでした。
その理由付けがあまりにも無理矢理で強引すぎる。
冒頭でカイルが未来から過去へタイムスリップする場面でカイルはある映像を見るんです。そこには彼がこれまで体験したことも見た事もないものが写っていました。それが新たな派生への鍵になるポイントです。そこに歴史を変えるヒントを感じたカイルはその時代へ行く事を提案するんです。その映像には自分の子供時代が写っていました、ですがそんな映像は自分の記憶にはない。その説明をT800が説明します。ここがビックリポイント。
なんと別の時間軸の世界だと言うのだ。つまり平行世界です。だから同じ世界で同じ人間が面と向き合う事も許せちゃう。本来なら許されない事だ、かつてバック・トゥ・ザ・フューチャーのドクが言ったように銀河が崩壊するかもしれない。でも平行世界だからそれはあり得ないのだ。機械らしくなんかもっともらしい説明をしますけどあまり理由になっていません。そんなありえない夢物語をサラが信じるわけがない、でも俺を信じてくれとカイルはサラに迫るのだ。俺だってそんな話しに納得できない(笑)でもカイルは説得するのだ、いや映画会社が観客を説得してるんだろう(笑)
これで別のターミネーターを作るお膳立ては整った、これで気兼ねなく好きな事が出来るぞ、と(笑)
もうお分かりの事かと思いますが、はい、自分はもうここから入っていけなくなりました。
スカイネットの正体も審判の日も登場人物も前作から大きく変わっていくことになります。
でも異なる時間軸を設定したことによって評価できることもあるんです。ファンの多くから黒歴史と言われている3や4もちゃんと存在し肯定できるものになった。IFの話しとして。これには3と4に関わったスタッフやキャストも救われた思いでしょう。
でも自分はそんなものはいらない。
でもいきなり否定するのは早々というものだ。例え違う世界の違う物語になってもドラマやアクションが優れたものであればそれでいいんだから。でもそれだったらかつての3や4にも当てはまることだし・・。結果は言うまでもないでしょう。
じゃあジェニシスの場合はどうだったのか?まあここからは個人的な意見です。自分的にはやはりのめり込めるもはありませんでした。自分にとってのターミネーターとは、基本的に愛の物語と思ってるんですよ。
サラとカイル、サラとジョン、ジョンとT800、いろんな愛の形が描かれてきたのがターミネーターの1と2でした。そこに涙したんです。その泣ける愛をジェニシスには感じないんです。それが完全にないというわけではないんです、そうなり得る要素もある。T800のことを育てのおじさんと慕うサラとT800の関係にも良いと感じるところがあったし、マシンであるはずのT800にサラを思う感情があるのも分かりました。だから惜しいんですよ。かつてのどの作品よりも自分が望むターミネーターがある。そこをもう一踏ん張り頑張ってほしかった。でも根っからファンでなければ十分泣けるレベルです。頑張りが足りないと思える理由にサラとカイルの関係があります。オリジナルのファンなら二人のことをご存知のはずですよね、また二人がなぜ愛し合ったかも。それがジェニシスではまったく理解できない。100%理解不可能。これは映画を直接見てください、ラストシーンのサラに腰砕けになりますから(笑)
でも一つの解釈を自分はしました。ずっとT800に戦士になるよう育てられてきたサラは異性への免疫がないはず、そこに男性が現れ、しかも裸で接する(これは秘密)ことになるのだ、これには流石の戦士もまいるはず、彼女も女の子なのだから。で最後の彼女の選択と台詞だ。これがリンダ・ハミルトンが演じた筋肉モリモリのゴツいサラならなかっただろう、いやそもそも似合わない、でもベビーフェイスで可愛いエミリア・クラークのサラならそれもあり得てしまう。彼女が本当に可愛いんですよ、この映画で唯一認めるところはそこだ。この映画で彼女のファンになりました、しかもおっぱいが大きいんですよ(笑)
あとはアクション。これにもなにも感じるものがない。迫力はあると思いますよ、しかしセンスを感じない、例え荒削りでもいいのでその監督にしかだせないこだわりのアクションを見せてほしかった。だってどんなアクションがあったのか思い出せないし。そこは3が頑張ってましたね、T800とT-Xとのガチンコトイレバトルは今でも大好きなシーンです。
もうね、細かいツッコミどころで満載なんですよ、それを言い出したらネタバレになるので言えないですが。でもここまでもかなりのネタバレをしてるんですけど・・とにかくこの映画にはネタバレになるようなツッコミどころが多すぎるんです。だから感想を書くとどうしてもそこに触れてしまう。1984年でタイムマシンを作っちゃうとか・・あ!そら見た事か(笑)アカデミー賞受賞男優のJ・K・シモンズの必要性とか・・あ〜もう止めますね(笑)
というわけでこの辺でそろそろ締めにしたいと思います。
はたして続編は作られるんでしょうか、実はツッコミどころが多いこの作品ですがそのいくつかは続編で明かされるような作りにはなってるんです。それを知ってれば考えていくらかの納得ができるんですけどほとんどの人はポカンとしてるでしょう。もしかしたらハッピーエンドと思っていない人だっているかもしれない。そのフォローがほしかったですね。
でも続編も怪しい感じなんですよ、なにせアメリカで大コケをしてしまったんで。評価もよくない。
あとは海外収益頼りのようです。T1000にイ・ビョンホンを起用しているおかげで韓国での収益は非常に好調なようです。これは映画会社の当初からの思惑通りでしょう。もしかしたら予め不安を感じていたんでしょうか、なら作るなよ。
自分は吹き替えを次に見る予定です。日本の吹き替えレベルは作品の面白さを何倍にもしてくれますからね、それに玄田哲章さんがシュワルツェネッガーの声を当てているし。シュワルツェネッガーの声は本人よりも玄田さんのほうがぴったりなのだ、本人の下手くそな芝居も見事にカバーしてくれるし(笑)日本国民にとって玄田哲章の吹き替え作品を見ることはもはや義務なのだ、いや法律なのだ!(笑)
あそうそう、肝心のキャメロンのことを忘れてました。彼の発言の真意についてです。
実は数年前にファンとキャメロンとの間で質疑応答があったんですよ。その中で、もしかしたら平行世界が存在していてその中ではスカイネットが勝利する話しがあるかもしれないと答えているんです。
だからキャメロンは続編と言ってるのかもしれませんね。大どんでん返しは、日本スタッフ側が大袈裟に訳しているようです。そりゃそうですよね、大どんでん返しなんて言葉を今時使いますか?それこそ素人の感想ですよ。しかも大ですよ大(笑)どんでん返しだけで良いだろ(笑)宣伝会社の必死さが伝わってきます。

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ヒッシー

Author:ヒッシー
映画レビューから最新作の情報配信まで、映画に関する面白いことなら何でも書いちゃおうといったブログです。また映画フィギュアの紹介とそれを使ったコント劇も作っています。なぜか真面目な話が作れません(笑)と言うか、お笑いのほうが作ってて面白いし。
読んでくれた人に笑って楽しんでもらえる、そんなブログを目指しています。たまには真面目なレビューもするよ(笑)

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